夏休み
夏休み。
今年も、またまた南の島に行った。
もう、5年以上は同じ島、同じホテルに行っている。 サイパン島。
素朴な地である。素朴な現地人、素朴な風景。そしてすべてが素朴な風土...。
回転がメチャメチャ早い日々の生活とは正反対の、全く変わらないこの地。
いつ行っても、ほとんど変わらない。
前進も後退もない。 都会で生まれた自分には感じることのできない、無動。
そして、今年も、何ヶ所・何人かの”知人”と再会。
本当に、故郷に帰った様な気になった。
今回も、ただひたすら、何にも考えず、ビーチやプールでのんびりした。バナナボートやジェットスキーやパラセーリング...で遊び、ナイトマーケットで食事したが、それ以外は何をやったかわからない。
何にもやっていない。
これが目的で、これがサイパンのいいところなのだ。
ちょっとの骨休みと、心と体のオーバーホール。 充電が完了して、きょう帰国した。
そんなサイパンに行くのは、決まって今の時期。
終戦記念日に、”戦争”っていうのを考え直すのは当たり前なのだが、それにはこの地が最もふさわしいからだ。もちろん、”近くの外国”でなくては...っていう、プライベートな事情もあるが。
約70年経っても、全く”復興”されていない、手付かずの土地。
日本軍は追い出され、主権を取ったアメリカは、取るだけ取って満足したのか、基地のないこの島には全く投資がない。グアムとは全く異なるのだ。
残ったチャモロ人と、バングラディッシュ人、日本人、朝鮮人などが、何だか細々と暮らしている。
街の至る所に戦車や砲台が残されて、生々しい。
ちょっと山を歩けば、きっと日本刀や銃弾くらいはすぐに見つかりそうだ。
そんな光景を年に一度見るたびに胸が痛む。
何で、こんな素朴な風土の、最高の島で、戦争なんてやっていたのだろう?
空には、大きな雲が時間と共に悪さをして、太陽が顔を出したと思えばスコールが急に起きたりする。風も吹いたり止んだりが忙しい。
陸地には、自分みたいにボーっとしている人間もいれば、大声出して買いあさっている中国人や、いつでも陽気なチャモロ人がいて、いろんな文化や国民性が交錯している。 花だって、いろんな種類の花が、毎日毎日、所狭しと咲き続ける。
海中には、餌を与えるとすぐに奪い取る”テストフィッシュ”のような白い魚もいれば、海底でコツコツ餌を探している魚もいる。悠々自適にただ泳いでいる魚もいる。イソギンチャクは移動しながらまた新しい住処を探している。
そんな光景を見ていたら、人も動物も自然も... すべてに各々の生き方があって、そんなことがすべて混ざって、全ての世界、全ての文化を作っている。批判も中傷もするべきではなく、みんながみんな頑張っているのだ。 辛いことだって楽しいことだって、結局、自己判断。自己責任。 自分がやりたいからやっている。
そんなことを考えたら、戦争で命を失った方々、日本のために頑張ってくれた方々に感謝の気持ちしか起きず、今回も、この激戦地で手を合わせた。
今、”やりたい事”をやって生きてられている”幸せ”に感謝しよう。
何だかうまく書けないけど、そんなことを改めて感じた。
普段は忙しすぎて、そんなことを感じる余裕すらない自分だから、こんな気持ちを大切に生きて行こう。 そう思った。