同門会
土曜日の夜には、埼玉医科大学第一外科の同門会が行われた。
今や、医療の現場では必ず配備されている、カラードップラーを開発した医局。
カラードップラーを知らない医療人は、恐らく居ないだろう。
そんなものを開発した、誇り高き・尾本良三教授の大医局だ。
今回の同門会は、今までで一番大きな企画。大御所の丸山記念総合病院の丸山理事長が発起人。これだけ集まったのも、丸山理事長だからだろう。
そして、自分が入局して三年目には医局が細分化されたので、実際の”第一外科門下生”は、自分の一つ下の鳥井先生まで。
だから自分の名前も、名簿のほとんど一番下にあった。
そして、ほぼ全員が、○○長!!。
院長、理事長、外科部長、診療部長。そして、教授に准教授に名誉教授...。 すごい肩書きでびっくりした。
第一線というより、日本の外科のトップランナー。
この場にいられる幸せを感じながら、楽しい時を過ごした。
過去のスライドが流され、この前の思い出も今や”昔話”。
昭和の”体育会系””スポ恨””徹底した徒弟制度””上は絶対”...の医局の話しで盛り上がった。
当時は、ほとんど洗脳されているように働き、泊まり続けた。
医学部という、極めて狭く、少人数の、専門性の高い学部で学生時代を過ごし、死ぬほど勉強して医師国家試験に合格。その翌日から、真っ白な白衣を身にまとい、外科の住み込み生活が始まる。
”医師過剰時代”なんて、今では考えられない不安を煽る言葉が常に耳に入り、だからこそ、将来のため、そして立派な医師になるため、昼夜問わず働いて働いて働いた。
家に帰れないことは当たり前で、いかに”仮眠””居眠り”の時間を取るかが、ある意味、”技”だった。
そんなことを話しながら、楽しんだ。
こんなことやったら、今の若い医師は入局するわけがないし、どこかにリークされて、大変なことになるね!! なんて、話しもした。
尊敬する小山教授と、そして、一番の親友・山田先生と、肩を組み写真におさまった。
これは、宝物になる一枚だ。
そして、いつも僕を守ってくれた先輩だけども親友のような浅野博先生とも。
大嫌いだった(笑)、鈴木先生とも”和解”の一枚。 だが、鈴木先生の必要以上の精神鍛錬が、今の自分を作ってくれた。 人生で一番辛かったが、耐えて耐えて、少しは乗り越えた。 そういう意味では本当に感謝している。
それにしても怖かったな。
そして、残念ながら、カリスマの尾本教授は体調不良で欠席だったため、スライドで過去の勇姿を再認識。
どんな所にも顔を出しなさい!! といっていた尾本教授が欠席したので、少し心配だ。
話しは尽きることなく、たくさんの思い出を胸に、解散となった。
自分が、名簿の一番下。
と、いうことは、自分がこのメンバーの誰よりも遠い未来まで”第一外科スピリット””尾本ism”を継承して、実践して、語り継いでいかなくてはならないのだ。
今でも、意地で、”真っ白い白衣””髭は禁止”を通し続けているという、浅野博先生の話しを聞き、自分もちょっと気が引き締まった(笑)。
でも、良いことを継承して、それを着せ替えて色付けして... また良いものに変えていく。 新たな文化が生めれば最高だ。
合言葉は、”すべて診る”。
武蔵村山の地で、コツコツと頑張っていこう。
そんな、有意義な週末の夜だった。