故郷への旅 ①

18歳で東京を離れ、埼玉の毛呂山に移った。そして、昨年開業し、完全に東京で腰を落ち着けるまでの約20年間、毛呂山が自分を育ててくれた。”心臓が人間の左側にある”程度しか知らない、高校を出たばかりの少年を、一人で故郷で医療ができるまでに育ててくれた自分の第二の故郷...。

そんな、毛呂山で、今や外科の講師である同僚の浅野博・多賀誠、の両先生に誘われ、医局の新年会に参加した。

まずは長い道のりが楽しかった。拝島から八高線に乗った。途中で前と後ろで切り離しが行われ、車両移動をさせられた。ドアはボタン開閉だった。車内広告も普通の電車より少なかった。でもでも...いつの間にか”電車”になっていた。ディーゼル車でないことが、若干寂しい感じもした。感慨深く、昔のことを思い出しながら電車に乗っていたら、いつの間にか終点・高麗川駅に到着した。何なんだこの駅は!!寒いし、真っ暗。全く栄えていない。
八高線の”高”は、高麗川の”高”ではなく、高崎の”高”。高崎行きが来るまで、30分以上待たなくてはならず、タクシーで毛呂まで移動した。

医大前通りは、昔と全く変わらず、大学病院を見上げたら、ちょっと気持ちが引き締まった。
この病院は、自分の住居。一ヶ月に数回しか家に帰らず、患者さんに全てを捧げた修行の場。緊張するのも当然だ。
続きは次回。

朝青龍、おめでとう。